イタリアの授業の思い出 その2



2.
とりあえず、実践を、レポートをがんばろうと思った。
教授が授業中に取り上げた現代空間作品の作家の中にIsamu Noguchiがあった。
私的にも興味があったが詳しくは知らない作家であったし、日系人で日本にもアトリエや作品が多くある人ということで、親しみを覚え彼の作品を調べることにする。
彼の名字が母の旧姓と同じなのも何か決断に関係していたかもしれない。
さて、ではどの作品について調べようかと考える。
ヨーロッパでは同じイタリアのボローニャに彼の作品がある広場がある。
それは公共空間にあたるが、むしろ彼の彫刻作品がぽんと置いてあるにすぎないように思えた。
他ではパリのユネスコ本部の日本庭園が彼の作品にあたる。
文献をあたるうち、その日本庭園についてどうしても調べたくなった。
はじめNoguchiは作家の均等性を保つためアジア人の血をもつということで白羽の矢がたち、
パリユネスコ本部の建築アート担当作家の一人に選ばれたにすぎなかった。
しかし彼の手腕でもって、当初与えられたより多くが彼の担当の土地として与えられることになった。
また、彼の生い立ちや日本への思い、また西洋と東洋のはざまで自我を探し続ける姿は、まさに自分の今の境遇に置き換えられて、共感し同情し、入り込んだ。
日本で入手した雑誌、カーサブルータスによると、ユネスコ本部のその日本庭園は一般には開かれていないらしい。
時にグループかなんかでみられることがある旨書いてあったので、とりあえず電話してみる。
応答したのは自動応答マシーンで、希望事項に応じて番号をプッシュするのだが、
番号を押すと違う番号につながり、そこでも番号を押すと、元の番号に戻るのどうどう巡りで、
いっこうに人と話せる気配がない。連日かけても同じなので、ええい直接行ってしまえとなった。


パリに行くのは初めての経験であった。
ミラノからは格安航空券で片道20ユーロくらいであったように思う。
フランス人は英語を介さずフランス語のみを理解し、ツンとしていると聞いていたが、
人々は優しく親切であった。ただしこっちが英語で聞いてもフランス語で説明してくれるけど。

ユネスコ本部に行く途中、すごくわかりやすい道のはずが迷い、
まったく違った公共施設風の建物内で道を聞いたときは、親切に持参の地図までコピーしてくれ丁寧に説明してくれた。
とりあえずユネスコ本部に着いたがもちろん予約はない。
入り口付近は国際機関らしく物々しい面持ちで荷物チェック等している。
当然用事のない者は入れない。
受付のおじさんに用件を伝えてみるが、無理の一点張りで冷たい。
こっちは何度も電話している旨、とりあえず待つ旨伝えて、受付の前のソファーでボーとしていたら、なぜか次第に受付のおっちゃんの態度が軟化し、
今日あるグループが施設見学にくるからそのとき混ぜてもらえば見られるかもよ、
担当の人がもうすぐやってくるからと教えてもらう。
ラッキー。
担当の人がやって来て、用件を伝え、こっちは何度も電話しているというと、
担当者が彼女しかいなく、いつも他の仕事があるので、電話にはでられなかったという。
そしてグループに混ぜてもらうことになった。そのグループはアメリカのどこかの大学から、ユネスコのコンピューターシステムかなんかの見学にきているようだった。

とりあえず一通り内部の施設をみせてもらい、様々なアーティストの作品を見、
Noguchiの作品をさらっと見、その横の安藤忠雄のMeditation hallも見、
ユネスコのビデオを上映され、彼らの興味のデータルームみたいなところに行った。
私的には興味がないし、Noguchiの庭園をもう一度、ゆっくり見、
天気のいいうちに写真も撮りたいので、大学のレポートの趣旨も含めて彼女に言うと、
もう一度受け付けに戻って一日見学パスカード(セキュリティーの関係で)のようなものを取ってきたらと言われる。
正直建築関係者で見たいという人が多すぎて困っているとも言っていた。
言われる通りにし、心おきなくNoguchiの日本庭園を堪能し、写真をとった。
Noguchiなりの解釈で、日本の伝統庭園を現代的に創造していると思う。
石はわざわざ日本から運び、その費用は日本の外務省にもたせたらしいから凄腕だなとも思った。
詳しい庭園の描写はさけるが、私にとって心に残る作品となったのは言うまでもない。

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by motokologic | 2006-11-30 23:28 | Landscape/ Urban pla
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