ちょっとしたメモ:芸術論



年よりで下手なのはまずい!痛い!年を増した人には人は円熟味を求めるものだ。

よくないものははっきりとよくないと言う事は大事。特に芸術面。

自分の事を褒めてばかりくれる人(つまり持ち上げてくれる人)ばかりをまわりにおくのは良くない。いつも率直で正直な意見を行ってくれる人を回りにおくべきだ。

伝統は尊敬すべき物であり、それを網羅した上での破壊行為は非常に意義があると思うが、
そうでないと、本当に低レベルになりかねない。
無から有は生まれないのだから。

高い芸術水準はわたしの意見からいうと、大衆の合意のもとには生まれ難い。
個人の芸術家としての、戦い、しかも孤独な戦いがあって、初めてうまれるかどうか
のものではないだろうか。

リラックスすることはよいが、グダグダはどうかと思う。
それならいっそのこと芸術のために自らの幸せをも犠牲にする方を私は支持する。

(単に昨日オーケストラと競演していた歌手がグダグダで、例えばカルメンを英語でしかもマイクで歌うとか。。。しかも下手。。。なのに観客は喜んでいたので、どうかと思った。(オーケストラは良かった)
のと、その後帰宅してテレビでみたGREEN DAYのライブが良く、ボーカルがめちゃいい事言ってた。彼女と別れた日はいいライブができるんだ、と。芸術のために彼女と別れる必要はないのだが、魂の叫びといういみじゃあそれは絶対にあり得る。
多くの芸術家にとって、芸術は普段の不幸を癒してくれるもの、また全てをなげうってもかまわない人生の最優先順位であったことも確かだろう。)

ここノルウェーで少し危惧しているのは、住民参加とかグループワークへの配慮が強い上に、個人の芸術的レベルを引き上げる環境が薄くはないだろうか?
例えば、この国では福祉国家故にみながそれなりにお金持ちであることはいいことだが、極端な金持ちの存在や、高い地位の存在というものを嫌う傾向にある。
しかし実際問題、人の才能は平等ではない。機会を平等に与えるのはよいが、評価も平等にするのはどうか?いいもはよく、よくないものはよくないのだ。
努力した者がそうでないものよりも認められる社会は必要だろう??

同じような国民性であるデンマークやスウェーデンにはあって、ノルウェーではないものはなんなんだろう。もちろん国家として独立していなかったことが、国家レベルの建築プロジェクト等デザインを育む機会を持ち得なかったことは認めるにしても、今現在の差異とは?
(ちなみにその歌手はスウェーデン人だったが、スウェーデンでの評価は低くノルウェーではそれなりに人気があるらしい。。。)

私個人の経験として、魂を揺さぶられるような機会は、日本にいた時よりもイタリアにいた時よりも少ないのは確かだ。
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by motokologic | 2007-02-18 20:27 | Daily life
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